桜井晴也 「世界泥棒」

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第50回文藝賞受賞作

文藝賞は6回くらい
他の新人賞を入れると
19歳から応募し始めて
8年9年で、20回いかないくらい…
とおっしゃっているので
文藝賞受賞までには
かなりの期間がかかっています
決してわかりやすい題材を
扱っていない為
理解してもらうには時間がかかる
そういったことをあえて
やっていたわけで
これも本人としては
あくまで必然性のあったこと
なのでしょう
文体はフォークナーの
「意識の流れ」の手法に
近いとは思いますが
世界的には
こういった手法も
いろんなところで
今では数多く
取られているでしょうが
日本においては
このようなことが
まだ充分に浸透しているかどうか
わかりません
エンターテイメントとして
おもしろければ
それも認知されるかもしれませんが
純文学としての手法としては
まだそれほど認知されていない気もします
桜井さん自身が
こういったことを自覚されていたのが
それとも無意識に
おのれの内面の必然性のみを
梃子として
このような文体に至ったのか
わからないので
こちらとしては
ただただ推察するしか
ありませんが
おそらく書き手の頭の中では
意識の流れということは
単なる手法としてだけではなく
むしろこうすることが
自然で、あたりまえのことと
見做して扱わっている
そんな気がします
それだけ既に多くの
文学作品を
読み解いており
鍛冶場の使い慣れた道具のような
まさにそんな使い方である気もします
そういった意味で
彼は既に既成の
日本の文学界よりも
遥か先へ行ってしまっています
これが本当の意味で
世間的に認知されるまでには
まだまだ時間がかかるのでしょう

ひとりの人間の中の
背反的な二つの見方が
対立して
あの後半部の会話に
結びついている気がして
しょうがないのです
もともとあの二人の会話は
ひとりの人間の中にもある
葛藤そのものではないかと

それが最後まで
折り合わずに
折り合うことなく
ラストまで
流れていく
詩というものは
彼にとって
聖域のようなもので
ありますから
それが彼らを見つめる
(睨む?)のです
純粋なものを
ただ純粋なものとして
観られない者としての
(黒い使者としての)他者を
それと対比させながら

その物語は
後半に行けば行くほど
密度が濃くなり
その深みは増していきます
ちょうどレコードの針が
中心へ行けば行くほど
その1回転当たりの
速度を増していくように

もしこの作品が
文藝賞で評価された
そのノウハウを
ひとつだけ
指摘するとするならば
この濃度と圧力であり
巷に溢れているような
文学賞突破の
ノウハウのようなものとは
やはり一線を画すものです
つまり圧力というものは
ノウハウとして
伝えることはできません
ただそれがある、ということだけしか
言えないでしょう
ですからあえて言えば
それが=ノウハウとも言えますが
今の日本文学界に足りないのは
まさにその熱さのようなものです
だからかけているものこそ
今後の課題であり
問題点なのです
作家がタレント化すればするほど
そういったものから
懸け離れていきます
見かけの売り上げは
仮に凄まじかったとしても
批判もありましょうが
僕がまさに考えているのは
このようなことです